横浜クルージング・ゲーム

    ●船上披露宴にて
    「では僭越ながら乾杯のご挨拶をさせていただきます」
     制服のお腹がちょっと出っ張っている恰幅のいい船長がシャンパングラスを片手にマイクを取る。
     船上パーティーの主役である新郎新婦と、50名ほどの招待客もグラスを手に立ち上がる。皆、梅雨の晴れ間の青空に相応しい明るい笑顔。ジューンブライドを祝う幸せなパーティー。船長まで幸せな気分になる
     船長は、今日も穏やかに航海できますように、という願いと、それからもちろん、
    「新郎新婦の前途を祝しまして」
     グラスを高く掲げる。
    「か……?」
     船長が乾杯、と発声しようとしたそのとき、宴会場にひとりの黒服の男が早足で入ってきた。
     ボーイか? 何か不具合があっただろうか? 
     船長はグラスを掲げたまま、黒服の男を見つめる。
     男はごく自然な様子で新郎新婦の背後に回る。ふたりも何らかの用事とでも思ったのだろう、男を振り返った……その瞬間。
     男の手元で、キラリと冷たい光がひらめき。
     ぶしゅるるるる。
     新郎新婦の喉からほぼ同時に、紅い液体が噴き上がった。

     ……な……なんだ?

     船長も招待客もスタッフたちも状況が理解できず呆然と立ちつくす中、新郎新婦はスローモーションのように仰向けに倒れた。
     ウエディングドレスと白タキシードを深紅に染めながら。

     喉を切られた!?

     船長がそう気づいた時には、黒服の男はすでに招待客の中に飛び込んでナイフを縦横無尽に振るっていた。
    「ハッピーーーイウエディーーーーンング!」
     奇声を上げ、そして。
    「ハンパ者共、早く来い! これじゃパーティーがあっという間に終わってしまうぞ!!」
     船長には理解できない台詞を、嬉々として叫びながら。
     
    ●Sの出現
    「……Sなの?」
     ミレーヌ・ルリエーブル(首刈り兎・d00464)は生唾をごくりと飲み込んだ。
    「ええ。時々調べてたんですが、やっと引っかかってきまして」
     神崎・ヤマト(中学生エクスブレイン・dn0002)は暗い目で頷く。
    「それで、この船上パーティーはどうなるの?」
    「この後、船長はSを止めるのは無理と判断し、乗務員に避難ボートを降ろすよう指示すると、自分は操舵室に向かいます。一刻も早く港に戻って客を降ろそうと。しかしSに追いつかれて」
     船長だけでなく、操縦ができる乗組員は早々に皆殺しとなる。
    「もちろん、Sがボートを降ろす暇など与えるわけないですし」
    「逃げ場無しね」
    「正に先輩の予測のような事態になるわけッス」
     灼滅者が介入しないと、乗客・乗員約80名はほぼ皆殺しとなる。横浜港がすぐそこに見えているというのに。尚、死者にはパニックを起こし、救命胴衣を着けずに海に飛び込んで溺れた者も含まれる。
    「どうすれば止められる?」
    「介入タイミングは、Sが上座でナイフを出した瞬間にしてください」
     下手にその前に手を出すと、Sがいきなり招待客の席に突っ込んでいく可能性がある。
    「Sを止めておいて、乗客を避難させればいいのね」
    「避難と言っても、今回は船上ですから限界があります。ご存じのように、Sは攻撃力はさほどでもないですけど、動きはやたら速いです。ボートを降ろして着飾った乗客を乗り移らせるという、ちんたらした避難ルートは無理です。ですので、まずは船長を何とか操舵室に連れて行き、船を全速で港に戻らせてください。巧くいけば、10分ほどで接岸できます」
     10分間乗客を守ればいいのか。それなら何とかなるかもしれない。宴会場を守る者と、船長の護衛につく者に別れればいいだろうか。しかし、戦力を分散させてしまうと太刀打ち出来ない相手であることは、これまでのSとの戦いで思い知っている。
    「別れても、Sを引きつけておけるかしら?」
    「操舵室はスチールの頑丈なドアで鍵もかかるから、戸締まりさせたら、全員宴会場に戻ってきても大丈夫ッス」
     すぐに戻ってこれるなら何とかなるかもしれない。
     ……と、ヤマトはふいにつらそうな表情になり。
    「それに今回ばかりは、Sは一般人より、灼滅者にこだわると思うんで」
    「どういうこと?」
    「例の闇落ちゲームっス。Sも参入することにしたようで」
    「!」
     闇落ちゲーム……六六六人衆たちの、灼滅者を闇堕ちさせた人数で優劣を競う悪趣味な遊び。
    「ですから、引きつけておきやすい、ということは言えるわけで」
    「なるほどね……」
     Sの真の狙いは灼滅者か!
    「でも、考えようによっては」
     ヤマトは気を取り直したように顔を上げ。
    「これまではちょっとでも不利とみるとサッサと逃げてたSが、今回は闇落ち者を出すか、よっぽど自分の身が危うくならなければ、撤退しないと思うんですよ。もしかしたら灼滅できるかもしれない」
    「ああ、そうね。出来るかもしれないわね!」
    「ですけど」
     ヤマトは気障に人差し指を立て。
    「あくまで目的は一般人の死傷者を最低限に抑えて、船を港に入港させることですからね。闇落ちだって、出さないにこしたことはない」
    「ええ、わかってるわ。闇落ちは最後の手段よ」
     闇落ちを出さずに任務を遂行できれば、それが最善である。
    「あ、ところでその船にはどうやって乗り込めばいいのかしら?」
    「今回は急なことで、バイトねじこめませんでしたので、なるべくESPを使って乗船してください」
    「適当なESPが用意できなかったら?」
    「すいませんけど」
     ヤマトは首をすくめ。
    「小型ボートか水泳で接近して、タイミング見計らって飛び移ってください」
    「ええ~?」
     灼滅者の身体能力だったら無理ではないだろうが……。


    参加者
    ミレーヌ・ルリエーブル(首刈り兎・d00464)
    アシュ・ウィズダムボール(潜撃の魔弾・d01681)
    函南・喬市(血の軛・d03131)
    小谷・リン(小さな凶星・d04621)
    高峰・紫姫(守り抜くための盾・d09272)
    霧渡・ラルフ(奇劇の殺陣厄者・d09884)
    ルナール・シャルール(熱を秘める小狐・d11068)
    比良坂・逢真(スピニングホイール・d12994)

    ■リプレイ

    ●乾杯の瞬間
     灼滅者たちは圧倒的な気配を感じ、反射的に物陰に身を隠した。突然現れたその冷え冷えとした気配の方を覗くと、宴会場の前方入り口付近に黒服の男が立っていて、宴会場を覗き込んでいた。
     Sだ。しかし、いつの間に?
     現れた瞬間は、誰も見ていなかった。海の上にも関わらず、どこからともなく忽然とSは現れた。おそらく船のどこかに隠れ、最も効果的な出現のタイミングを見計らっていたのであろうが。
     宴会場では全員がグラスを掲げ起立し、船長が乾杯の挨拶をひとくさり述べている――と、Sがスッと宴会場へと足を踏み入れた。乾杯、と言いかけていた船長の言葉と動作が、怪訝そうに止まる。
     Sが新郎新婦の元に達し、さりげなく懐に手を入れた瞬間。
    「今だ!」
    「Frön einem Betrug!」
    「フェルヴール!」
     灼滅者たちはカードを解除しつつ出入り口や窓から一斉に飛び込み、あるいは遠距離攻撃を放った。
     Sのナイフを持つ腕を、アシュ・ウィズダムボール(潜撃の魔弾・d01681)の弾丸がかすめる。ナイフを取り落としこそしなかったが、刃は新婦の首を反れ、むき出しの二の腕を切り裂いた。
    「きゃあっ!?」
     悲鳴が上がり、血が飛ぶ。招待客からも声が上がり、がたがたと椅子やテーブルを倒しながら、突然の暴力から少しでも遠ざかろうと後ずさっていく。
     傷ついた新婦に、高峰・紫姫(守り抜くための盾・d09272)が覆い被さる。
    「大丈夫、傷は浅いです!」
     アシュに窓から投げ込まれた小谷・リン(小さな凶星・d04621)は空中で回転しながら猫変身を解除し、Sの目の前に着地した。紫髪の間から、睨み付ける。
    「お望みの、灼滅者、登場。しね」
     その間に比良坂・逢真(スピニングホイール・d12994)と、霧渡・ラルフ(奇劇の殺陣厄者・d09884)は、敵と招待客の間に入り声を上げる。
    「こいつは逃走中の指名手配犯です。皆さん早くデッキへ避難を!」
    「乗務員の指示に従って、慌てず避難なさってください!」
     ミレーヌ・ルリエーブル(首刈り兎・d00464)は後方の出口に招待客を誘導しながら声をかける。
    「この船はすぐに港へ向かうわ。10分ほどで着くからそれまで我慢して」
     アシュは上長と目ぼしをつけておいた船員に、
    「乗客を落ち着かせて。飛び込む者が出るかも」
     と、忠告しながら、ひらりと窓を越えた。宴会場に入ると、変装用のウィッグを振り落とす。
     紫姫はショック状態の新婦の傷口をナフキンで抑えながら、新郎と共に宴会場から連れ出す。
    「なるべく宴会場から離れたところで、船長からの指示を待っていてください」
     新婦は泣きじゃくるばかりだが、新郎がひきつった顔で、わかった、と頷いた。
     紫姫はふたりに敢えて微笑みかける。
    「必ず助かりますから」
     函南・喬市(血の軛・d03131)と、ルナール・シャルール(熱を秘める小狐・d11068)は、真っ先に船長の元へと駆け寄り、操舵室に戻るよう促す。
    「避難ボートに乗り移るより、港に戻った方が早いし安全です」
    「いや君、そうは言うが」
     事態を理解できていない船長は乗客よりも先に待避するのをしぶるが、喬市は毅然とした態度で連れ出す。それをルナールが守り援護する。
     船長が宴会場を出たのに続き、乗客乗員の待避も完了した。
    「危険デスから決して海に飛び込んだりなさいませんよう!」
    「全員デッキに出たら、窓やドアを全て閉じて絶対中に入らないでください!」
     ラルフと逢真がそう叫ぶと、ぴしゃ、ばしん、と、次々と窓やドアが封じるように閉じられた。
     灼滅者たちは武器を手にし、Sを囲む。
    「お早いお出ましだな。ハンパ者ども」
     Sは口が耳まで裂けそうなほど嬉しそうに笑った。
    「お望みどおり来てあげたわよ。今度こそ――刎ねろ、断頭男爵!」
     ミレーヌがナイフを振り上げて飛びかかっていったのを皮切りに、灼滅者たちは一斉に攻撃に出ようとした――と。
    「……っ!?」
     Sの全身から、黒々としたオーラが発散された。物理的な圧力を感じるほど禍々しく強力な。
     あまりの禍々しさと圧力に灼滅者たちは一瞬ひるんだが。
    「……はじめまして、ヒトゴロシ。さあ、ワタクシ達と騒ぎまショウ!」
     ラルフが陽気な声を上げ、槍を掲げ突進する。Grief of Tepesは受け流そうとしたSの肩先をかすめ、わずかではあるが血が飛んだ。
    「お前らのくだらないゲームに付き合ってやるよ」
     アシュがガンナイフをつきつける。二丁拳銃の1発目は外れたが、それは想定内、Sが避けた方向に撃ち込まれた2発目は、脇腹に刺さり黒服が裂ける。
    「前と同じ精度と思うなよ! 俺たちは成長してんだ!!」
    「確かに、ちょっとはマシになっているようだがな」
     またSがニヤリとする。軽傷とはいえ傷を負っているはずなのに全くそれを感じさせない。
    「しかし、お前たちには決定的な弱点がある」
    「何だよ?」
    「チームであるということだ」
    「なんで、それが弱点になるんだ!“美しく殺戮することに喜びを感じる”なんて半端な覚悟で殺す奴に負ける気は無い……ぐっ!?」
     逢真が槍を構えて突っ込んでいき、すい、とSがそれを避けるように身を屈めた。その瞬間逢真の脚から血が迸った。同時に背後に回り込んだリンのティアーズリッパーもかわされる。
     速い!
     ミレーヌとアシュは、今までの戦いとは違うことを思い知る。前回までは、Sのターゲットはあくまで一般人。灼滅者は単なる邪魔者で、排除するために戦っているだけだった。
     しかし今回のターゲットは灼滅者そのものである。
     じわり、と背中に冷たい汗がにじむ。
     Sはククッ、と嫌らしく笑った。
    「お前たちは、仲間を気遣ったり、庇ったりせずにはおれないだろう? だからこそ――堕ちる」

    ●選択の瞬間
     喬市は、即刻港に戻るのが最善であることを、船長に納得させることに成功していた。仲間がSをきっちり引きつけておいてくれたこともあり、無事に操舵室まで送り届けられた。
    「くれぐれも全速で帰港、お願いします」
    「ああ、もちろんだよ。君も気をつけて」
     操舵室のドアが閉まり、ガチャリと鍵のかかる音がして、すぐに部下たちに指示を飛ばす船長の声がドア越しに聞こえてきた。
     喬市はノブを捻って戸締まりを確認すると、宴会場に駆け戻る。デッキでは、乗員が乗客たちを、下階への階段に誘導していた。
    「(デッキから人がいなくなるのは助かる)」
     1つ不安材料が減ったのをありがたく思いながら、喬市は素早く宴会場に入る。その途端、
    「……うっ?」
     船室中に充満するような黒いオーラに包まれた。シールドを構え、かいくぐるように前へと進む。
     仲間たちはSを囲んではいるものの、攻めあぐねているかのように遠巻きにしていた。そして前衛は多かれ少なかれ傷を負っており、紫姫とルナールがせわしげに回復を施している。特に逢真の脚が酷い。回復を受けて血は止まっているが、痛むのか身体が傾いでいる……と。
    「たあっ!」
     その逢真が脚を引きずりながら、Sに躍りかかった。拳が確かに脇腹に決まりSは倒れ込んだ。しかし、
    「!!」
     逢真の腹部からも血が迸る。
    「オーマ!」
     血まみれになりながら倒れた逢真に、ルナールが駆け寄る。
    「どうやら頭数は揃ったらしいな」
     軽く咳き込んだだけで立ち上がったSは、ナイフから血を払うと灼滅者たちを見回して。
    「どうだ、仲間がやられそうだぞ? ぼちぼち誰か堕ちないか?」
     ――ひとりずつ集中攻撃することでプレッシャーをかけ、闇堕ちさせようとしているのか?
     冷静な喬市も、Sの汚いやり口にさすがに頭に血が上った。怒りに任せ、シールドで体当たりする。思いっきり壁に押しつけながら、
    「初詣で妹が世話になったらしいな、これはそのお返しだ」
    「初詣……箱根か。ふん、そういえばそんなこともあったな」
     しかし軽々と押し戻される。
     その隙に、
    「逢真さんは一旦下がって回復しましょう」
     紫姫がルナールと共に宴会場の隅に引きずっていく。
    「……すまないね」
     逢真は痛みを堪えながら自嘲的に思う。
    「(まったく六六六人衆はどいつもこいつも屑ばかりだ……まあ、俺も同類かもしれないが)」
     Sはその様子をちらりと見て。
    「もうひとりくらい痛めつけないと駄目か?」
    「させマセン!」
     ラルフが拳を固め、飛びかかる。光の鳩が拳から現れ、その鳩に巻かれるようにSがよろめく。
     アシュがガンナイフを構えながら、入れ替わりに引いた喬市に素早く尋ねる。
    「船長は無事に?」
    「ああ、全力で港に向かってくれてるはずだ。それから、乗客は階下に降りたぞ」
     足下からは力強いエンジン音が響いてくる。
    「それは助かる。思いっきりやれるわね!」
     アシュより早く、ミレーヌがナイフを振りかぶって飛びかかっていく。
    「アナタ達ダークネスから見れば半端者でもね、こっちにも意地があるのよ!」
     続いてアシュが切り込み、リンが殴りつける。
     連続攻撃に、さしもの六六六人衆も膝をついた……と見えたが、
    「あっ!」
     リンの胸元に、ナイフが突き立てられる。
     咄嗟に飛び退いたが、かなりの深手だ。頽れたリンの元に、ルナールが駆け寄る。
    「リン、痛い。な?」
    「大、丈夫……自分でも、回復、できる」
     リンはそう言うが、胸元と咳き込んだ口元から血が流れる。
     灼滅者たちは船窓に目を走らせる。港はぐんぐん近づいている。船長の通報を受けたのか、埠頭にパトカーもやってきている。このままSを引きつけ続ければ、乗客を無事に船から降ろすことはできるだろう。相変わらずいやらしくニヤついているSだが、それなりに消耗しているはずだし、黒服はボロボロであちこちに傷も見える。Sはひとりずつ倒していく作戦のようだから、回復しながら根気良く攻撃を続ければ、時間をかければ何とか撤退させることはできそうだ。依頼の達成という点ではそれでOKだろう。
     だが……。
     このタチの悪い六六六人衆を、これ以上野放しにしておいていいのか? 灼滅の絶好の機会なのに。
     ――と。
     灼滅者たちの逡巡を見透かしたかのように、Sが床を蹴り、高く跳んだ。狙いは、ルナールに回復を受けているリン!
    「させるかっ!」
     喬市が身体を入れてリンとルナールを庇う。礼服の広い背中を、ソムリエナイフが切り裂く。
    「卑劣ナ!」
     ラルフがGrand Guignolに魔力を乗せ、Sに叩きつけて喬市から引きはがす。
    「許せない……今日こそお仕舞いにしてやるわ!」
     ミレーヌはSの脚を狙い、
    「灼滅してやる!」
     アシュは影を宿したガンナイフの銃床で頭を殴りつける。
    「……リン?」
     ルナールは、リンの様子がおかしいのに気づく。凍り付いたように動かないのに、小さく震えている。そして、覆い被さる喬市の黒髪をじっと見つめている。
    「どう、した?」
    「ああっ」
     後方から、喬市の回復のために駆けつけようとしていた紫姫が小さく悲鳴を上げ、立ちすくむ。
    「リンさん、いけません!」
     宴会場の隅に横たわる逢真も声を上げる。
    「リンさん、駄目だ! 何が何でもとか『たとえ自分を犠牲にしても』なんていうのは、間違ってる!」
     ふたりの目はリンの背中を見つめている。そこから立ち上りはじめている黒いオーラ。気づけば、喬市の黒髪を見つめる瞳も紅く染まり、左手はしゅうしゅうと煙を上げてかぎ爪へと変化しつつある。
     これはもしや――。
    「駄目よ、リン!」
    「リン、帰ってこい!」
     仲間たちは口々に名前を呼ぶが、無情にも異形化は進んでいく。
     リンが、
    「お兄……ちゃ……」
     と、喬市の髪に手を伸ばした瞬間、グオッと黒い影が、間近にいた者を押し倒す勢いで立ちのぼった。
    「うわあっ!」
     影が薄れるとそこにはリンであってリンでないものがいた。深手を負っていたはずなのに、すっくと立ちあがっている。
     灼滅者たちは呆然とリンを見つめる。
     突然、哄笑が響いた。Sだ。
    「よーし、とうとう堕ちたな。よしよし、それがお前らの正しい姿だ。あっはっはっはっ」
     と、リンがすっと脚を伸ばした。そこから闇のように黒く巨大な影が渦巻き膨れあがってSを飲み込む。飲み込まれても、Sは哄笑を止めない。ぶるっと身体をひとゆすりして影をふるいおとす。
    「ふっ、さすがに堕ちると威力が増すな。今日のところは1人でよしとするか」
     Sの視線が脱出口を探しはじめる。負傷者に闇堕ちと、灼滅者の包囲網は正直スカスカだ。今回も逃げられてしまうのか……!
    「に……逃がすな!」
     船室の隅から逢真が傷口を抑えながら叫ぶ。
    「これで逃がしたら、リンさんの闇堕ちが無駄になる! これは“勝てる状況”だろ!」
     その言葉に、灼滅者たちは奮い立つ。
    「小谷嬢、頼みマス! わたくしたちが捕まえておきマス!!」
     ラルフが槍を突き出し、ミレーヌは足に切りつけ、アシュは毒弾を撃ち込む。
    「なんとしても貴様は殺す!」
     喬市は妹の分の怒りもこめて殴りつけ、ルナールは炎を浴びせ、紫姫も涙ぐみつつ影で縛り付ける。
    「貴方方の考え方は理解できない! 殺すことが至上? 闇堕ちがゲーム? ふざけないで! 絶対にここで終わらせます!!」
     さしもの六六六人衆も足を取られ、窓際に倒れ込んだ。そこにふらり、とリンが近づく。
    「お前、堕ちたんだろ、俺らの方の存在になったんだろ?」
     Sは壁を伝ってよろよろと立ち上がり、リンに語りかける。
     リンはゆるりと首を振る。紅い目は遠くを見つめている。必死に人間の心をつなぎとめているのだろう。突き出されたナイフを無造作に払いのけ。
    「……ころす、きる!!」
     そう呟き拳を握った。拳には光ではなく、闇が集まっていく。その闇が凝ったような拳が、Sの上半身に連打される。黒い残像になって見えるほどのものすごいスピードだ。威力も、灼滅者の比ではない。
    「ぐあああっ!」
     ガシャーン!
     Sがリンの拳の勢いに押され、強化ガラスの窓を割って外へと飛び出した。捻れて後方へと吹き飛び、デッキを越え、船の手すりをも乗り越えた。
     ザッパーン!
     激しい水音。
    「ああっ!」
     灼滅者たちは慌てて宴会場を飛び出す。
    「また逃げられた!?」
     手すり越しに海を覗き込む。逢真もラルフに支えられてやってきた。
    「……いえ、あれを見てください」
     紫姫が船の後ろの海面を指す。
     入港しつつある船は大分速度を落としている。海面の軌跡に、大量の赤い液体が浮かび上がってきているのが見えた。それに遅れて、黒服らしきものも。
    「……S、消えた、の? 灼滅、できた?」
     ルナールが訊く。
    「そう願いたいところデス」
     ラルフが深刻な表情で答える。
     灼滅者たちはしばしSが落ちた思われる水面を見つめ……と、ミレーヌがハッと顔を上げ。
    「リンは?」
     灼滅者たちは慌てて船室を振り向いた……だが、そこにはすでに何者の姿もなかった。

    作者:小鳥遊ちどり 重傷:比良坂・逢真(スピニングホイール・d12994) 
    死亡:なし
    闇堕ち:小谷・リン(小さな凶星・d04621) 
    種類:
    公開:2013年6月29日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 13
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