闇に溶ける殺意の刃

    担当マスター:笠原獏

    <オープニング>

     世界は、邪悪なる超存在ダークネスにより支配されている。
     この支配に楔を打ち込んだのが『サイキックアブソーバー』によるサイキックエナジーの吸収である。
     サイキックエナジーの希薄化により、世界を支配してきた強大なダークネスは活動停止を余儀なくされ、ダークネス組織もまた機能を停止。ダークネス達は大混乱に陥った。

     しかし、サイキックアブソーバーが動き出してから22年が経過した今、サイキックアブソーバーが存在する東京武蔵野市を中心とした日本全土で、サイキックエナジーの急激な増加が確認されはじめたのだ。
     このままサイキックエナジーが高まれば、サイキックアブソーバーの機能が乱れ、再び、世界中のダークネスが蘇る悪夢の時代がやってくるかもしれない。

     日本地域は、他の諸地域に比べてサイキックエナジーの濃度が高く、ダークネスや眷属の事件も発生していたが、今回のサイキックエナジーの増加により、今まで君達が解決してきた事件とは比べものにならない程に大きな事件が発生していくと予測されている。

     しかし、恐れる事は無い。
     この時の為に、この学園には、多数の灼滅者が集っており、サイキックアブソーバーを使いこなすエクスブレインの育成も進んでいる。
     この世界が再び、ダークネスの跳梁を許す事が無いように、皆の力を貸して欲しい。

    ●663
    「闇墜ちについては……みんなも知ってるよね?」
     集まった灼滅者達へ向けてそう切り出した少女、須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)の表情は僅かに暗く、口調も重い。
    「ヒトがダークネスになっちゃう事、要するにみんなもその可能性があるって事」
     学園での生活を通じてその可能性を減らす事は出来る。けれど完全に防ぐ事が可能かと言えば……それは否、と答えるしか出来ないのが現状だ。
     まりんは灼滅者達へと告げる。
    「学園の生徒が五人、闇墜ちしちゃったんだ。それぞれがダークネスになって事件を引き起こそうとしてる。みんなにはその内の一人を救い出して欲しいの」
     教室がざわつく。明日は我が身──付きまとう可能性の話は他人事ではない。
     闇墜ちをしたダークネスは灼滅者であった頃と比べて5倍に近い戦力を持っている。これは現時点で活動しているダークネスの中でも中位以上の戦闘力といってもいいくらい、とまりんは言った。
    「それでも事件そのものはまだ起きてない。今ならまだ間に合うの。だから急いで現地に向かって、闇墜ちしちゃった仲間を助けてね!」
     仲間を。
     甲斐・鋭刃(かい・えいじ)という、一人の少年を。

     優しい子なんだよ、と、まりんは同級生たる少年についてそう言った。
     自分に厳しくて少しぶっきらぼうだけれど、義理堅くて周囲には優しい少年なのだと。
     兄弟が多いからか小さな子どもと遊ぶ事も好きで、代わりに勉強は苦手、鋭刃はそんな普通の少年だった。
    「でも……最近までね、失踪してたんだ」
     彼が失踪した理由については推測の域を出ないような話しか出来なかった。過去に鋭刃が赴いた依頼、そこで一般人を死に追いやってしまったようだ──という事くらいしか。
    「過失、なんだけどね。どんな理由であれショックだったんだと思う。だから依頼後に姿を消して……それで」
     闇へと墜ち、六六六人衆として、帰って来た。
     序列は663位。以前のような性格は完全に消え去り、抱いた衝動のまま殺人へと走ろうとする者として。
    「一般人を死なせてしまった事で闇墜ちしたのに、自分の手でその一般人を殺そうとするようになっちゃったなんて酷い話だよ! だから絶対、助けてあげて!」
     まりんが言うには鋭刃が現れるのはとある県、中程度の大きさを持つ市の片隅。夜道を──塾の帰りなどで──一人で歩く学生の前に現れる。
     学生が逃げれば鋭刃はそれを追う。まるでどこかへ追い詰めるように、武器をわざとらしく見せつけたまま、殺人衝動を露わにした歪んだ笑みを浮かべたまま。
     けれどまだ殺さない。
     やがて、袋小路へ追い詰めたなら……そこでその学生の命は終わり。そうして一人、また一人、助けを呼んでも誰にも届かず、そして逃げられない状況を作り上げ、袋小路を朱に染めようとしている。そうやって力を付けてゆき、いずれば六六六人衆としての序列を上げるべく動き出そうとしているのだろう。
    「……でも、その最初に追われた学生がみんなのうちの誰かだったら? 現れる時間と場所、あと袋小路の位置は分かってるから、誰か一人が囮になって彼の誘いに乗って逃げて……袋小路に着いたところで逆に後ろから挟み込んでしまえば」
     光明が、見える筈なのだ。
     今からであれば十分間に合う。甲斐・鋭刃を倒し、闇墜ちから救う事が。
    「みんななら必ず出来るって信じてるから。頼んだよ!」
     だから、まりんは力強く灼滅者達を送り出した。

     夜道をひたりひたり、歩く音がする。
     右手には刃、背負うのは影、目元には闇。
     その者──元殺人鬼、現六六六人衆の序列663位たる少年、甲斐・鋭刃。

    種類:
    難度:普通
    参加人数:8人
    笠原獏より
    初めまして、あるいはこんにちは。
    笠原獏です。
    こちらのシナリオの成功条件は甲斐・鋭刃を倒し闇墜ちから救う事となります。

    鋭刃について。
    彼は日本刀と影業を武器にして戦います(眷属は連れていません)
    また、既にダークネスとなっている為に元の性格は残っていません。

    それでは、ご参加お待ちしております。

    ●参加者一覧

    遥・かなた(d00482)
    篁・凜(d00970)
    宿里・キラフ(d01373)
    神崎・香織(d01783)
    山門・新(d02429)
    露木・実璃(d03389)
    夜魔神・霜汰(d03490)
    三國・健(d04736)

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    <リプレイ>

    ●1
     明日は我が身──そう考えると少し怖い。
     だからこそ早く取り戻したいと、照りつける日差しを仰ぎながら宿里・キラフ(高校生殺人鬼・d01373)は考えた。眩しさに目を細め視線を戻せば、地図片手に興味津々といった様子で周囲を見回す三國・健(半熟見習いヒーロー・d04736)の姿が目に入る。ご当地ヒーローの性のようなものだろうか、勉強は苦手でも興味事には労力を惜しまないのだろう。
     いま灼滅者達が立っている袋小路、それがエクスブレインの教えてくれた戦場となる場所だった。昼間でも一般人の姿を見る事のほぼ無い周辺に身を隠す場所を探し、それぞれの行動を確認し合う。
    「……と、こんなところかな」
     おおむねの確認を終えた頃、指先をそわそわと絡めながら山門・新(ドレッドノート・d02429)が仲間達の方を向いた。
     時間もある事だから美味しいものやこの辺りの名物を食べに行きたい。鋭刃を元に戻す事が第一とはいえ、腹が減ってはなんとやら。いつでもはらぺこの少年がそんな思いを頭の中で上手く纏めようとして、結局口から出した言葉は。
    「えっと……お昼ご飯、食べに行かない?」
     真っ先に反応したのは、地図から顔を跳ね上げた健だった。

    ●2
     陽が落ちる。やがて影が夜色に混ざり始め、静かな道がその静けさを保ったままで闇の中に溶けた。
     袋小路の近く、物陰でちまりと動く影があった。様子を窺うように顔だけ覗かせた神崎・香織(黄昏幻想曲・d01783)はそこに変化が無い事を確認すると再び全身を隠すように縮こまる。
     甲斐・鋭刃は本当は優しい人、なのにこれから人を殺めようとしている人。
    (「……本当は望まないのに、殺しちゃうなんて、つらすぎる、よ」)
     胸元で握った手に力がこもる。
     わたしにできること、しなきゃ。呟き、ちらりと隣を窺えば視線を落としがちに思案する露木・実璃(中学生魔法使い・d03389)の横顔が見えた。ぼんやりとしているようでも焔色の瞳は僅かに揺らいでいる。
     鋭刃のしてしまった事は過失でも、彼のやってしまった事。もうどうにもならない事だと実璃は考えた。他人の自分がそれに対して何かを言ったり慰める資格なんて無い、とも。
    (「……それに彼の問題は、彼自身が心に決着をつけないといけない事」)
     うまくは言えない、けれどそう思う。だから今の自分に出来る事は、せめて鋭刃がこれ以上後悔する事を増やさない事。顔を上げた所で香織の視線に気付き、不安げな表情を和らげてやるように柔らかく目を細め、尋ねた。
    「そろそろ、時間でしょうか」
    「そう、ですね」
     少しだけ前の事を思い出す。囮となり、今は夜道を歩いている筈の遥・かなた(こっそりのんびりまったりと・d00482)と別れた時の事。
     大人しげな少女は言った。気弱さを覗かせる声色の端に、確かな意志の強さを乗せて言った。
     甲斐さんをきっと闇墜ちから救ってみせます、と。

     肌を撫でる空気はまとわりつくように温い。
     仲間達から一人別れたかなたは今、古びた街灯の並ぶ道を制服姿で歩いていた。
    (「……、……あ」)
     誰かにつけられている、やがてそう思う。歩を早めてみれば後方から聞こえる足音もまた歩を早めた。立ち止まってみれば立ち止まった。じわじわと追い詰めるように、それはかなたとの距離を少しずつ少しずつ縮めていた。
     気取られないように、不自然にならないように。こういう場合にはどう動くべきだろうか──頭の隅で考えたかなたは結局ただ、振り返った。
     始めに認めたのは足元から鋭く伸びる黒々とした影。それを辿るように顔を上げれば街灯の明滅を受けて揺らめく刃が見えた。そして朱色の短髪と、血の気の感じられぬ肌に貼り付けられた、歪み笑う口元が。
     甲斐・鋭刃。
     闇に墜ちてしまった少年、六六六人衆の序列663番はかなたと目が合った直後、ただ一言だけ、告げた。
    「──死ね」
     優しさも不器用さも義理堅さも。全てを無くした、殺人衝動に染まった声だった。分かっていても背筋にぞくりとしたものが走る。
    「! やっ……!」
     それを振り払うように身を翻し、怯えた様子を見せながらかなたは駆け出す。鋭刃が全力で追いかければ易々と追いつけただろう、けれどまるで愉しむように、鋭刃はかなたの背を追った。
     あと少し、あと少し。袋小路へ続く道、駆け抜けながら一瞬だけ物陰に目配せをして声を上げる。
    「来ないで!」
     そして『追い込まれた』その場所で、道を塞ぐ壁に背を押し付けた。かなたと対面した鋭刃が口の端を大きく吊り上げて、生への執着を削ぐようにかなたを凝視して、心の底から愉しそうなどす黒い声色で再び告げる。
    「死ねよ」
     俺の為に、俺が力を得る為に、紙切れのように犠牲になっちまえ。言いながら鋭刃はくつくつと笑っている。容赦なく刺す狂気にかなたは一度息を呑んだ。
    「命乞いは好きにしな、何を言っても関係ねぇ。ただ」
    「っ……」
    「俺の為に死んでくれるってんならせめて……全力で、苦しませて殺してやるよ!!」
     それまで、誰かを助ける為に振るわれれていたであろう刃が、かなたの命を奪う為に振り上げられ──けれどそこに、高らかな声が響き渡った。

    「他の犠牲は、出させない!!」

     それは恐らく塀の上から。力強く足を踏み込む音がして、跳んだ身体が器用に回転する影が見えた。ダンと着地したその姿が街灯に照らされればそこにはポーズを決めた健の姿。
    「いざ、ヒーローへの道を踏み出す第一歩! 甲斐兄ちゃん、必ず正気に返してやるからな!」
     刀を振り上げたまま振り返った鋭刃が黙り込んでいる。そこへ更に複数の影が躍り出て、袋小路を完全に塞ぐように立てば何かを感じ取った鋭刃が不快さを露わに眉根を寄せた。
    「……我は鋼。我は刃。……我は闇を払い、悪を滅する、一振りの剣なり。篁凜、推して参る!」
    「どっちが狩る側か教えてやるよっ!」
     篁・凜(紅き煉獄の刃・d00970)が朗々と告げ、夜魔神・霜汰(復讐鬼・d03490)は昼間とうって変わった快楽的な笑みを浮かべ粗雑に笑う。直後袋小路側から上がった声に鋭刃が目を向ければ追い詰めていた筈のかなたがその足元から自分と同じ影を生み出して、鋭刃を見据えていた。
    「こんな事はあなたの本意ではないはず」
     先刻までの気弱な少女はもういない。
    「あなたのためにも、止めてみせます!」
     代わりに、仲間を救いたいと願う勇猛果敢な少女がいた。
     その少女の張り上げた声が、開戦の合図だった。

    ●3
    「全員だ」
     僅かな沈黙の後、落とされた声は笑っていた。口の端を上げたままの鋭刃がぐるりと灼滅者達を見回す。
    「全員、殺してやらァ」
     そして、下ろしかけていた日本刀を再度構え、身を低くして地面を蹴った刹那、凜の真横で刀が重く素早く、真っ直ぐに振り下ろされた。同じ武器、同じ学園の生徒、なのに今の鋭刃の攻撃を避ける事は難しい。
    「……ッッ! ……小癪なッ!」
     全てを断ち切るような衝撃を受けながらも、凜は吼える。
    「ぜぇぇぇあぁぁぁぁッ!!」
     野太刀のように長い刀を易々と繰り、今度は自らが鋭刃の死角へと回り込む。急所を狙い斬り付けようとした瞬間に鋭刃が大きく身を捻り、それを弾いた。そこへ霜汰が大きく叫びながら高速で、霜汰の相棒である霊犬のズィルが口に咥えた剣をもって斬りかかった。
    (「やっぱり、強いね」)
     先刻までかけていた伊達眼鏡を外し、鋭さを露わにした橙色の瞳を伏せる事を止めた。纏っていたストールが邪魔にならぬよう軽く手で払ったキラフから無尽蔵に放出された殺気はそのどす黒さで鋭刃を覆う。
     刃を向けるなら覚悟は相応に。自分は同じものを返すだけ。
    「……さ、ちゃんと受け止めなよ?」
     少年の表情と声音から、揺らぎの薄さと緩さが消えた。
     かなたに目配せをした実璃は指輪に手を添えながら、彼女から鋭刃の視線を逸らさせるように動く。するりと指先を向ければ圧縮された魔法の矢が鋭刃目掛けて射出され、その隙に回り込んだかなたが闘気を雷に変換、拳に宿して大きくしゃがむ。そしてそのまま、勢いに乗せて飛び上がりながら突き上げるように鋭刃をぶん殴った。
    (「……通りが、悪い?」)
     手応えに、思う。闇墜ちの影響で力が増しているからだけではなく、要するに。
    「ディフェンダー、か」
     最初の攻撃を受けた事もあってか同じ事を感じたのだろう、トンと跳ねるように後方へ退いていた凜が冷静な面持ちでそれを口にした。凜の方を向いたかなたもその推測に同意するよう一度頷く。
     みんなの体力は大丈夫だろうか──一歩退いた場所から真剣に周囲を見回しながら、香織は自らを覆うバベルの鎖を瞳に集中させた。近くにいた健が指にかけたリングスラッシャーをくるりと回す。まるで相棒と共に戦うように、息を合わせるように手を翻した。スナイパーたる少年から射出されたそれは鋭刃の肩口を食らい付くようにして切り裂いて、それに気を取られている隙に背面へ回り込んだ新が相棒の霊犬と共に刀を振るい、息の合った所作で力強く斬り付ける。
    「人を助けられなかった事を悩んで、人殺しに走るなんて本末転倒」
     新の心中はこの状況であれ静かに凪いでいる。ヒトであり続ける為に殺人衝動に抗う少年は、足取りを鈍らせながら振り返った鋭刃へ向け言った。
    「それで救われるほど、あなたは弱くない筈です」
     苛立ちに目を見開いた鋭刃は足をダンと踏み込むと刀を真横に振り切った。鋭い一閃は冴え冴えとした月の如き衝撃を作り出し前衛にいた灼滅者達──凜や霜汰、ズィル、かなたを襲う。
     それでも凜は怯まない。再び吼えたかと思うと鋭刃へ向け斬撃を振り下ろす。
    「らあああ!!」
     それは霜汰も同じだった。ぼさぼさの髪を振り乱しながら叫び、この状況にむしろ快楽を得ているかのように、一瞬にしての抜刀からの斬撃を放つとズィルに続けと促した。
     先刻はかわされた二人の攻撃、今度はしかりとした手応えを得る。それでもじわじわと削ってゆくしかない状況に、キラフは溜息混じりに鋼糸を繰った。その糸を鋭刃に巻き付け動きを封じようとするもかわされればキラフの瞳が僅かに面倒くさそうに細められた。
    (「受け止めな、って」)
     長引けば長引くほど誰かが倒れる可能性が増える。皆も、鋭刃もそれは望まないだろうとキラフは思った。回復を持つ仲間の壁になる事は、ジャマーとして動く自分には叶わない事だけれど。
    「なかなか削れませんね」
     キラフの横へ退いてきた影と聞こえた声は実璃のもの。その前方を駆け抜け再度の拳を繰り出したかなた、凜へ向け歌声を響かせた香織。
    「今、治すです、よ」
     仲間を癒す者である事を選んだ少女の歌声は清らかであり同時に力強い。枷となっていた武器封じすら拭い去ってくれた香織をちらりと伺った凜は、言葉の代わりに笑みを浮かべて再び鋭刃へ向き合った。
     再び健のリングスラッシャーが空中を駆ける。同時に声を上げれば仲間の行動が連携を意識したものに変わってゆく。さなか新と、相棒の刀が同時に鋭刃を斬りつけた。

     削り合い、抵抗し、向き合い続ける。そんな戦いが街の片隅で人知れず続く。
     呼びかけても届かないのであれば刃を交えるしか無かった。それが、最善で最短の道だと信じてからどの位経っただろうか。遂に疲労感を隠せなくなった鋭刃が肩を上下させ荒い息を吐いた。
    「──チッ!」
     それでも悪態を吐いた次の瞬間には影業の先端を鋭い刃に変え、放つ。背後から切り裂かれた霜汰が堪らず膝をつくとズィルがそこへ駆け寄った。
     地面に着いていた片手をぎり、と握り締める。勢い良く顔を上げ、霜汰は叫んだ。
    「どっちが狩る側か、教えてやるって言ったよなぁ!?」
     倒れやしない、教え込むまでは何度でも立ち上がってやる──大きく粗野な笑い声を響かせた霜汰から感じるものは戦闘狂の持つ純粋な感情。
     一連を目の当たりにしたキラフは己の指先で一度目頭を押さえた。背面から斬り付けるという事が嫌いだった。嫌な事を思い出し、胸の内に湧いた熱のせいで手を滑らせてしまいそうだと思う。それを振り払うように少年は鋼糸を操った。
    「道を見失った君を、我々の手で導いて見せよう」
     告げながら凜が躍り出る。思い出すのは昔の話。繰り返される狩りの事、闇へ飲まれてしまった事。そして、
    「かつて私がそうして救われたように!」
     積み重ねられたものが鋭刃の行動を、その精度を鈍らせた。仲間達が目まぐるしく攻撃を重ねる様を見つめながら、香織は不意に思う。
    (「甲斐さんが、ディフェンダーなのは」)
     護りきれなかったからだろうか、と。
     真実は、分からないけれど。ふるりと首を振った香織は再び歌い、そして鋭刃が倒れ込む姿を見た。
    「さようなら、ダークネス。そしておかえり。甲斐鋭刃君」
     静寂の後、一輪の薔薇を投げた凜が真っ赤なロングコートを翻す。
     薔薇は、地に伏せる鋭刃の背に、落ちた。

    ●4
     気まずそうな笑顔で、戦闘時の豹変ぶりを誤魔化す霜汰の姿があった。
     その傍で意識を取り戻し、経緯と状況を理解した鋭刃が黙り込んだままその場に座り込んでいた。武器を手放し膝を抱き、ただ黙っている。凜から投げかけられたあの薔薇は右手に握られていた。
    「甲斐さん、だいじょうぶ、です?」
     その隣に座った香織が心配そうに鋭刃へ問うた。ちらりと香織を伺った鋭刃は長い長い間を置いて、
    「……大丈夫だと、思っていたんだ」
     ぽつりと口を開く。薔薇が一度、緩やかに回される。
    「敵は絶対逃がさない、上手くやれば問題は無い、そう思っていた。全員の避難を待っていたら逃げられるかも知れない──そう考えた俺のせいだ」
     それは、これまで見えていなかった断片。
    「……敵を逃がさない為だけじゃない、誰かを助ける為にも俺の力はあったのに」
     隠しきれない後悔の念、再度俯き黙り込んでしまった鋭刃の肩に香織はそっと手を添えた。自分の出来る事は終わったと考えただ見守る実璃の隣、かなたが一歩前へ出る。いろいろ後悔があるかもしれませんが、と言いながら香織とは反対側に座り、鋭刃を見た。
    「それはこれから人々を救うことで返していきましょう」
     そして「仲間は多いに越したことはありませんしね」と笑む。今すぐ後悔の念を打ち消す事は難しい。それでも立ち止まっているよりは、前を向いて不器用であれ足掻いた方がいい。
    「そうだよ甲斐兄ちゃん! それでさ、今度僕とも遊ぼうぜ!」
     かなたの言葉に顔を上げた鋭刃へと、健が笑いながら告げた直後。ぐぅ、と健のお腹の虫が鳴る。気が抜けちゃったと照れ笑いをする健の後ろで新がゆっくりと挙手をした。
    「あの、さ。夜ご飯……食べに行かない? もちろん甲斐さんも、一緒に」

     長い時間を置き、鋭刃が立ち上がる。
     灼滅者──学園の仲間を見回して、少年は言った。
    「…………ありがとう。……この恩は絶対に、忘れない」
     僅かに、不器用な笑みを浮かべ、言った。

    作者:笠原獏
    重傷:なし
    死亡:なし
    種類:
    難度:普通
    結果:成功!
    出発:2012年8月20日
    参加:8人